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学者の良心と学問の作法について

語るに落ちる羽入の応答

――『Voice 5』誌上羽入-谷沢対談によせて――

 

雀部幸隆

 

『図書新聞』200465日掲載稿(掲載承諾有)

 

 

 羽入辰郎が本年5月の『Voice 5PHP研究所記)で一連の自著批判に対してようやく反応を示した。ただし単独にではなく谷沢永一との対談の形式を借りてである。だが、この反応はおよそまともな学問的応答とよべるものではなく、ただ相手に罵詈雑言を浴びせるだけの応酬にすぎない。

 

  羽入が2002年9月にミネルヴァ書房から出した『マックス・ヴェーバーの犯罪——『倫理』論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊』(以下羽入書)なる耳目聳動的著作に対しては、折原浩が「四疑似問題でひとり相撲」(東京大学経済学会編『季刊経済学論集』第69卷第1号、2003年4月)を皮切りに、『ヴェーバー学のすすめ』(未来社、2003年11月)、「歴史における学者の品位と責任——「歴史における個人の役割再考」」(『未来』2004年1月号)、「ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理」論文の全論証構造」(『未来』2004年3月号)と立て続けに論著を公刊し、詳細かつ徹底的な反論を加えるとともに、さらに一歩を進め、「倫理」論文をいかに読むべきかに関する国際的にも刮目すべき新知見を披瀝した(なお「倫理」論文とはいうまでもなくマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を指す。)

 また橋本努はやはり『未来』2004年1月号に「ウェーバーは罪を犯したのか——羽入-折原論争の第一ラウンドを読む」を寄稿し、折原の『ヴェーバー学のすすめ』時点までの羽入-折原論争の整理を行うとともに、北海道大学経済学部の橋本ホームページに「羽入-折原論争の展開」という特別コーナーを設け、羽入をも含む全国のウェーバー研究者に論争参加を呼び掛けた。このコーナーにはこれまでのところ羽入を基本的に擁護する寄稿はなく、森川剛光(3点)、横田理博、宇都宮京子(2点)など気鋭の研究者たちによる鋭く厳しい羽入書批判が掲載されている。むろん折原も同コーナーに積極的に寄稿し、論争の当事者として各論者の所説に対する懇切詳細な応答を行い、そのなかで羽入に対する批判とみずからの積極的なウェーバー理解とをさらに深めている。

 筆者もまた、羽入書が第一二回「山本七平賞」を受賞したさい(その事実ならびに選考委員会各委員の選評および羽入本人の「受賞の言葉」は本年1月の『Voice1』に公表された)、『図書新聞』2004年2月21日号および28日号に「学者の良心と学問の作法について——羽入辰郎著『マックス・ヴェーバーの犯罪』の山本七平賞受賞に想う」(上下)を発表し、そのタイトルの甚だしい不穏当性と選者たちの不見識、そしてとりわけ「受賞の言葉」に見られる羽入本人の無恥厚顔ぶりを批判し、折原の批判に対して羽入が誠実に答える責務のあることを強調しておいた。

 こうして折原の精力的作業をはじめとする全一連の羽入書批判が登場し、羽入がその気になりさえすれば、公正で生産的な議論を成り立たせることのできる学問的論争のアリーナが整えられたのであるが、折原の最初の羽入書批判(上記『経済学論集所収論文』)以後すでに一年以上経過しても羽入の論争参加はなく、その応答が今や遅しと待たれていた。

 

 その折も折、羽入はようやく口を開いたのである。ただし、その場は『Voice 5』であり、また谷沢永一との対談の形式を借りるものである。しかも題していわく。「マックス・ヴェーバーは国宝か――『知の巨人』の研究で糊口をしのぐ営業学者に物申す」(同誌198−207頁)

 いかにもセンセーションをねらう仰々しいタイトルではある。だが、このタイトルを見て、多少とも事情に通じた者なら誰しも思うことだろう。はて、一体、だれが、いつ、どこで、ウェーバーを「国宝」扱いにしたか、誇大デマ広告で半可通の好奇心を煽るのもいい加減にしてもらいたい、と。

 「営業学者」云々にいたっては、ウェーバー研究者に対する言うに事欠いた罵詈雑言であり、言及にも値しない。しかし、もし仮にウェーバー研究者が「『知の巨人』の研究で糊口をしのぐ営業学者」だとされなければならないとすれば、その悪口雑言はまっさきに羽入本人に跳ね返るはずである。なぜなら、羽入は埼玉大学教養学部卒業(1975年)以来、途中東京大学教養学部入学(卒業は1989年)、同大学院人文科学研究科倫理学専攻進学(博士課程を終えたのは1995年)を経て、実に30年近くものあいだ、ウェーバーの「倫理」論文における「資料操作の詐術」と本人の思い込むことだけにかかわりあい、その甲斐あってようやく今の職に就くことができたからである(1999年青森県立保健大学教授就任)。つまり羽入は「知の巨人」を研究する——その巨人を引き倒すためであれ何であれ——「営業学者」を地で行き、そのお陰で「糊口をしのぐ」ことができるようになったのである。<天に唾する>とはこのことである(以上の年譜は前掲『Voice 1』201頁所載の羽入の「プロフィール」による)

 さて、こうして待望久しい羽入の反応は、対談のタイトルを一瞥しただけでもまともな人間の読む気を殺ぐものだが、その内容はさらに、<語るに落ちる>の一語に尽きる

 羽入の主張を一言でいえば、折原は自分に答えよとしつこく迫っているけれども、その批判は「営業学者」の「ヒステリック」な「罵詈雑言」にすぎず、したがって自分はそんなものに答える必要はない、というものである(『Voice 5』201頁。折原だけが羽入書を批判しているわけではないのだが、そのことは措く)

 羽入の言いたいことはこれだけである。あとは愚にもつかないおしゃべりにすぎない。だが、羽入はそれだけのことを自分一人で言う勇気がなく、わざわざ保守派論客として自他共に許す谷沢永一のお出ましを願い、<そうだそうだ>と相槌を打ってもらって、みずからの<応答拒否>のお墨付きを貰おうという肚づもりなのである。なぜ谷沢の相槌が<応答拒否>の御墨付きになると羽入は考えるのか。それは当方の関知したことではない。

 当の谷沢は、ひょっとすると、「第一二回山本七平賞」選考会はとんだ際物をつかんだものだ、自分の頭の上の蠅を自分で追い払うこともできない輩は所詮物の役には立たぬと内心想ったのかもしれないが、しかし同じ保守系論壇の賞のことではあり、それにクレームを付けるのも得策ではないと判断したのであろう、結論的には、まあ世間の論評などいちいち気にせず自分の仕事をしなさい、これからあなたが何をするかが肝心なのであって、批判に対する応答はその中ですればよい、と慰めてか、励ましてか、羽入の思惑に一応沿う発言をしている(同上)。ただし、谷沢は随所で羽入をたしなめており(ここでもすでに<たしなめ>が入っている)、それはそれで興味深いところもあるのだが、本筋から外れるので、ここには立ち入らない。

 ところで羽入は、かつて山本七平賞受賞の時点では、すでに公表されていた折原の批判を意識して(その時点で彼はすくなくとも上記東京大学『季刊 経済学論集』誌上の折原論文を読んでいたはずである)、「受賞の言葉」で殊勝らしく、(キリスト教史や聖書史等の)「専門の研究者の方々にお願いして、私のいままでの論証がほんとうに正しかったのか否か、もう一度厳密に確かめるための研究会を始めています」と述べていた(『Voice 1』201頁)。人を詐欺師だの犯罪者だのと決めつけておいて、いまさらその「論証」が正しかったか否か「厳密に確かめる」も何もないものだし、それに、そんな検証は折原の批判に真っ当に答えるゆえんではないのだが(『図書新聞』2004年2月28日号所載の拙稿末尾を参照)、それでも羽入は、一応主観的には、なにがしかの自己検証作業の必要を認めてはいた。しかし今回羽入は、その検証作業のその後については全く口をつぐんだまま、折原の批判には一切答えない、と開き直ることにしたのである。

 その理由は、先にも見たように、折原の批判が「「知の巨人」の研究で糊口をしのぐ営業学者」の「ヒステリック」な「罵詈雑言」にすぎないからだというのだが、しかし、折原の一連の批判をまともに読んだ者なら、誰もそれを「ヒステリック」な「罵詈雑言」だとは思わないし、ほかならぬ羽入自身内心そんなふうに考えているはずがないから(もし本気でそう考えているようなら、彼は度しがたい愚物である)、折原の「罵詈雑言」云々という羽入のそれ自体「罵詈雑言」としか言いようのない物言いは、<折原さん、あなたのおっしゃることには、私は反論することができません>と白旗を掲げるに等しいものである。つまり、羽入の「罵詈雑言」は<参りました>を意味する特殊<羽入語>にほかならない。

 

 これでこの「論争」はひとまず決着が付いたのだが、羽入はこのあとどうするつもりなのであろうか。彼は、国内のまともな言論空間では思惑通りの市場開拓ができないので、その人騒がせな代物(羽入書)を海外輸出したいと考えているようである。

 もともと彼は自著の山本七平賞受賞にさいしてその英訳を考慮中と述べていた(『Voice 1』前掲)。だが、その前に、彼は自著のドイツ語版を出そうと企て、「ドイツの出版社10社ぐらい」に出版方を打診したところ、「いずれも丁重なお断りの言葉」を受けたという。「丁重」かどうかは知らないが、その拒絶の理由として彼の臆測するところがふるっている。その理由は、自分の本が「ドイツではすでに知られていて、『禁書』扱いになっている」からなのだそうである(『Voice 5』201頁以下)。「『禁書』扱いになっている」とはまたよくも言ったものだが、ドイツでは、<マックス・ウェーバーの犯罪? 悪い冗談だろう>というわけで、どの出版社にも相手にされなかっただけの話であろう。

 そこで羽入はいよいよ羽入書の英訳刊行に漕ぎ着けたいと考えているのだが(同201頁)、英語圏でもとくに1980年代以降、かつての「パーソンズ・ウェーバー」とは面目を一新したウェーバー研究が本格的に始まり、その一端は、わが国でもよく知られているアンソニー・ギデンスやロバート・イーデン、デヴィッド・ビーサム、サム・フィムスター、ブライアン・S・ターナー、ステファン・コールバーグなどの諸研究、またRoutledge社から二度にわたって出版されたウェーバーに対するクリティカル・アセスメントやクリティカル・レスポンスの集成(Peter Hamiltoned., Max Weber : Critical Assessments 1,4 Vols. & Max Weber : Critical Assessments 2, 4 Vols.,1991,Bryan S. Turner(ed.), Max Weber : Critical Responses, 3 Vols.1999)などに窺えよう。英語圏におけるこのようなウェーバー研究の進展に照らして考えるなら、日本で厳しい学問的批判にさらされながら、それに対する何の学問的応答もなし得ぬまま、自著の英訳刊行を果たそうとする羽入のもくろみは、真っ当な形では、そう簡単にかなえられないだろう。

 それゆえ、羽入が今後とも学問の世界で生きて行こうと思うのなら、まずもって彼のなすべきことは依然としてただ一つ、自著に対する折原たちの批判に廉直に(知的誠実!)応えることである。